【講道館柔道十段】球の原理【三船久蔵】

「相手が引けばこちらは回りこむ、相手が押して来たらこちらは斜めに下がる」三船十段はこれを【引かば回れ、押さば斜めに】と説いているのであります。 ~考察~ 1、球の原理とは 人間を球体と考えれば、この動きこそが自然となり、現実的には棒状であるはずの人体に「球の原理」を適応できたのが三船十段なのだと思います。 この原理の体現者が他にないのは、やはり現実的には難しい理論体系だからなのでしょうか? 2、球とは真球なのか? 真球は「完全な球体」であり、この世には存在しないものとされています。ここから二つの仮説を考察しました。 ①人間の想像力が無限であるならば、真球は人間の想像の中には存在していて、真球の原理原則を何らかの超技術を用いて己に適応させている。 ②自然の力を超えたものは人間の力では再現できないとするならば、「球の原理」の球は真球ではなく、流動的かつ変化自在の長球であり、そこから得られる球の特徴を状況に合わせて使いわけている。 前者なら後継者がいない理由もわかる気がします。というか人では到達不可能な領域なのでは? 3、思い込みによる勘違い説 球と聞いて多くの人が、前者の説を想像してしまい、人知を超えた領域を前に挫折してしまったが、実際に三船先生の説く球は「真球に近い長球」もしくは「人体に合わせた形の長球」であり、そのイメージを用いて技術を体現している。説明に用いたボールが勘違いを増長させてしまったのかも? 4、「崩し」に対抗する技 講道館柔道は加納治五郎先生が「崩し」を発見されて、崩し→投げの理論を確立したことで大きくなりました。三船先生は講道館柔道を学び、「崩されなければ投げられない」という理論を「球の原理」として説き、それを証明したものではないかという『崩し無効化仮説』を提唱します。加納治五郎破れたりかな? 5、副次的な恩恵 崩されない、崩れないという技術は崩す技術と表裏一体なため、人体がどうなれば崩れるのか(または崩れないのか)と言いうことに精通した結果、空気投げや隅落としといった技の数々を使いこなせていたのではないかという仮説です。柔道が上手な人ほど崩すことが難しいので、ならば体を包む道着ごと巻き込んで投げてしまおうという技(命名:オリンピック投げ)が生まれたり、ノーギならば骨をつかんだらいいじゃないという狂気の発想が生まれたり世の中は本当に面白いですね。